岡山県岡山市。柏木寿夫は、養護学校を定年退職した後、障害者や高齢者を乗せる福祉車両を運転している。その傍ら、自宅の庭で地域の野良猫たちにエサをやりつづけている。ところが最近、外部の「泥棒猫」がエサを目当てに庭へ侵入してきて、にわかに猫社会の緊張が高まっており、頭を悩ませている。寿夫の妻・柏木廣子は、高齢者や障害者の自宅にヘルパーを派遣するNPOを運営しているが、国の福祉予算の削減で苦しいやりくりを迫られている。家では、猫の餌付けのことで夫に不満を抱いている。廣子は週に一度、91歳になる橋本至郎の生活支援に出掛ける。橋本はネズミとダニだらけのアパートに一人暮らし。己の死を見つめる日々を過ごしている。戦争中、兵隊として徴集された過去があり、その記憶がよみがえる。
岡山県岡山市で暮らす暮らす人々や猫たちの淡々とした日常をつぶさに描き出しながら、平和とは、共存とは、そしてそれらの条件とは何か、哲学的に問いかけるエッセイ風の観察ドキュメンタリー。生と死、拒絶と和解が複雑に交錯する日常。そこに見出される「平和」「共存」へのヒント。ナレーションや説明テロップ、音楽無しの観察映画・番外編。
Peace是烟的牌子,是表面的和平,虽然这样小城镇民间互助的方式已经很理想了。想田拍摄的残障人士很有温度,但还是猫最真爱…
岡山県岡山市。柏木寿夫は、養護学校を定年退職した後、障害者や高齢者を乗せる福祉車両を運転している。その傍ら、自宅の庭で地域の野良猫たちにエサをやりつづけている。ところが最近、外部の「泥棒猫」がエサを目当てに庭へ侵入してきて、にわかに猫社会の緊張が高まっており、頭を悩ませている。寿夫の妻・柏木廣子は、高齢者や障害者の自宅にヘルパーを派遣するNPOを運営しているが、国の福祉予算の削減で苦しいやりくりを迫られている。家では、猫の餌付けのことで夫に不満を抱いている。廣子は週に一度、91歳になる橋本至郎の生活支援に出掛ける。橋本はネズミとダニだらけのアパートに一人暮らし。己の死を見つめる日々を過ごしている。戦争中、兵隊として徴集された過去があり、その記憶がよみがえる。 岡山県岡山市で暮らす暮らす人々や猫たちの淡々とした日常をつぶさに描き出しながら、平和とは、共...
泥棒猫出现啦,here we go! 从猫片出发的电影,散漫经由日常中彼此呼应的暗合而组织成脉络。感受到纯粹的观察记录,所以当老先生突然开始讲战争往事时真是叫人惊诧:只是去看,故事竟自由发生。
作为DMZ的命题作文,做到了计划与偶然、主题主义与直接电影的对立统一。观察映画的概念并不复杂,难的是在复杂情况下仍坚持既定的方法论。桥本的出现是对这种坚持的回馈,但观察方法的最大意义无疑在于重新发现和平的定义为“不同种群之间的和谐共处”。广阔的现实可提供无尽的偶然和必然,想田的作品序列就像摄像机-监控头系谱上的刻度,不同的坐标,不同的真味。
想田監督的镜头里看不到的,也能从听觉里逐渐体会过来。一种对于观察的专注程度,传递着暖热的温度,好像有种错觉,能够瞬间让人投入这个略显晃荡的世界之中去,带着掩饰不住的伤感,背离着恬静与温柔,大步走向这个脆弱与豁达的边际。渐觉那些几近模糊的言语能够激活内心那抹柔软。